「アンストッパブル」です〜☆
これは、実際に2001年にアメリカで起こった列車暴走事故をモデルにして作られた映画ですね。
あの当時、日本でもニュースやワイドショーでも報じられてましたし、しばしば「奇跡の…」といった類の特番なんかで取り上げられたりした出来事なので、ご記憶されている方も多いのでは?
これは、その事件をモチーフにしたセミドキュメント風アクションムービーですw。
セミドキュメント風、と表現したのは、なんと作品自体が冒頭部分で「これは2001年のペンシルバニアで実際に起こった列車事件をもとに作られた映画である」と、堂々とフィクションですよー、と謳ってたからwww。
はい、間違う事なき"造り物"ですよー、と作品自らが宣言してるんです(^^;。なんか逆に潔くっていいやw。
(そう宣言されたら、確かにクライマックスシーンであった急カーブ突破のシーンは、実際にはそれ以前の段階で回避できてたような気がします…。記憶違いだったらすいませんm(_ _)m)
と同時に作り手の意気込みというものも感じられましたね。これは実際にあった出来事だ、けど我々は敢えてそれを伝えるために、事実を損ねることなく、しかし真実を伝えるためにこの作品を作ったのだ、という決意表明の様にも思えました。
で実際観た率直な感想は…いいっ!!
もう見事なまでに当時の緊張感とか、その中でその判断を下した勇気と決意がメチャクチャ生々しいほどリアル感満載!
それに主役であるベテラン鉄道機関士役のデンゼル・ワシントンが、またもぅ、ハマリ役としか言いようが無いほどハマってる!
以前観た「サブウェイ123」でも、同じような熟練鉄道交換員を演じた時にもバッチシ!と言っていい程の名演技を披露してくれてましたが、こういう"熟達の男の世界に没頭する、硬派なベテラン"という役が見事なまでに似合ってましたねぇ(^^)。
と思ったら、後で調べてみると、なんとこの「サブウェイ123」を撮った時の監督さんが、この作品を指揮してたんですって。なるほど、それもあったのかw;。
とにかく、男として憧れるよなー、という生き様をみせる人物を演じさせたら一級品ですねぇ。もしかすると、今のアメリカで一番"男気な演技ができる役者"なのかもしれないです(o'-^)b。
それとタッグを組んでいた若手車掌役のクリス・パインという役者さんも、負けず劣らずいい"男気ぶり"を演じきってましたねぇ。デンゼル・ワシントンとしっかりタメを張ってましたよー。
さて総じてこの映画を観て感じ入ったのは、この作品を通して伝えたかったメッセージというのが、とてもシンプルで明確なものだった事と、真実は事実を伝える事だけが唯一の方法ではない、という事でしたね。
まず伝えたかったメッセージ、というのは、私にはこう見えました。
「どんな時にも、可能性があるなら出来得る限りの最善を尽くし、努力し行動しろ。どんな時でもチャンスというモノはゼロという事はない。その千載一遇の時に全力で備えろ。そしてその時を見逃すな。そうすれば奇跡は必然になる。」
こんな感じの事を伝えたかったのだろうなー、と思っています。
それをどのように表現していたかは…まぁ、観て頂くのが一番ですねぇw。
それともう一つの、真実は事実を伝える事だけが…という部分ですが。
ちょっと脱線しますが、他の話題からその辺をご説明しますね。
皆さんは、日本史とかで江戸時代にオランダの医学書を翻訳して作られた医学書「解体新書」というものがあった事を、多かれ少なかれご記憶されているかと思いますが、この翻訳、実に想像を絶する途方も無い難作業だったそうです。
理由は割愛しますが、当時はオランダ語を読解できる日本人は皆無、という状態で、通訳の人も話せても文書は読めない、という環境だったんです。
それほどまでに厳しい環境にも関わらず、前野良沢・杉田玄白・中川良庵の3名は数年でこれを成し遂げます。まさに奇跡といっていい程の出来事だったわけです。
しかし、それも普及するにつれ、その当時の翻訳がどれほどの難作業であったかを知る物は少なくなり、その有り難味を実感する者も減っていきました。(ま、無理もないです。今のパソコンを例にしてもいいですが、私のようなWindows自体が発売される前、されて以降の社会の変化を見てきた者と、生まれた時から、それがあって当然の中で生きてきた者とでは価値観や考え方は全く違いますもん)
それを最後まで生き残っていた杉田玄白が憂いたわけです。「このままでは、未知の領域に改めて挑もうとする者がでてこなくなる」と。そこで自分達の翻訳がどれほどのモノだったかを書き残しました。それが「蘭学事始」という本なんですね。
その中でも特に有名なのが、この件(くだり)。
原書である「ターヘル・アナトミア」の中に、「顔の真ん中がフルヘヘンドしている」という記述がありました。この、フルヘヘンド、という単語の内容が他の記述をみてもどうにも想像がつきません。彼らはその他の書物を片っ端から見まくって、フルヘヘンドという単語の意味を探ろうとします。
結果わかったのが
・木を切ると、切ったところがフルヘヘンドする。
・庭を掃くと落ち葉がフルヘヘンドする。
という事だけでした。
ここで彼らは様々な推論を立てて、その共通する意味を探していって、ついに"フルヘヘンド"="うず高い"という意味だ、と辿りついた、というシーンです。
有名なので、大抵の方はご存知だと思いますが。
実は、このフルヘヘンドという単語、原書であるターヘル・アナトミアには一切書かれていません。
なので、上記のような事実は実際にはなかった、という事になります。では何故こんな既述をしたのか?というと、要は実際の翻訳作業工程は、こんな途方もなく乏しい情報の中から推論し、その繰り返しの中で解読していったのだよ、という"真実"を伝えるために、わかりやすい例えを作ったわけだったのです。
私はこの映画を観て、ふとその事を思い出しました。
実際に起こった事実は、映画ほどの大事件には至ってなかったわけですが、それが起こっていた時の緊張感はその事実だけでは伝えきれない程のモノだったのでしょう。
その真実を伝えるために、映画ではこのようなストーリーになったのだな、と思えたのです。
そういう意味では、間違えなく"真実"を伝えている映画だと思いますよ(^^)。
もし他の映画のついで、としてでも観て損はなしっ、と言わせて頂きます♪。
まま、ご参考までに。
ではではー^^)/。
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コメント、ありがとーございますっ。(o_ _)o/☆ゴチッ
お返事でーす(^^)。
>ハルナ様
的確なツッコミ、有難うございますw;。
確かに「サービス=S」が正しい名称ですね(^^)。ま、私の感覚的にはれっきとしたビジネスと見えてますけども。
mixiもスタンス自体は本来は全く同じ、というより模倣だったようですよ。
ただ、実際に運営してみると当の学生のネットワーク、というより卒業後の接点維持として利用するユーザーのほうが多かった、という感じのようです。
あくまで私の私見ですがねw。
【CI・NE・MAの最新記事】
FBは基本実名・写真入りなので、詐欺やら何やらを心配する日本には根付けなさそうですね。
ニックネームOKにしたらmixiと一緒だし。
あ〜、確かにそれは言えますよね〜。
日本では実名公開はすごく抵抗ありますから。ほぼプライバシー丸出し状態になりますもん。
むしろその辺が大きいのかな?ご指摘スルドイです(^^)。
確か日本のネット社会の特徴というか特異性というのが、この匿名主義にある、ってどっかのTV特集でもやってましたわ(^^;。
2ちゃん文化もmixiも、その土壌があっての事なのかもw。
そういう私もハンドルネームなわけだし(と言いつつ、相当な部分まで自己プロフィールを暴露しているような気が…(^^;)