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2014年01月17日

【1月17日】「95.1.17」直後の、あの場所の、私の記憶。

当時私は大学4回生。卒業まで後3か月を過ぎた、社会人になる前のノンビリしたヒトでした。
実際、ホントにノンキなもんで、あの日、私が起きたのは昼前になってw;。
揺れたのには気づいてたけどね;;。
親兄弟からは呆れかえられ、今だもって非難轟々(^^;。
・・・まぁ、同じ兵庫でも西の果てはそんな感じでした。
TVでその光景を目にするまでは。衝撃でしたね。倒れた高速道路を目にした時。ワンフロア丸ごと無くなったビルを見た時。
ですが、それでもTVの向こうの光景、という感覚でした。

西の果てでは、と揶揄気味に表しましたが、実際ホントに被害らしい被害はなかったです。
その言葉を耳にしたのは姫路にある大学に出た時からかなぁ。
それでも姫路では「窓ガラスが割れた」という程度でした。

でもそれは西果ての近隣に住んでる者の話。
同級生でも、日に日に悲惨な日常を送り体験している者の生活が口々に出てくるようになりました。
・・・より東に住まいを持っている者ほどに。

姫路近辺で、この阪神淡路大震災の実害を体感したのは、交通インフラでした。
あの時は明石〜大阪間の山陽道が、車・鉄道・船舶全てでストップでしたので、
日常の流通が完全に遮断されてしまってました。
ちょうど大阪以東と姫路以西でスッパリ割れてしまった感じに。
実際、経験したことのない渋滞に辟易してのを覚えています。

でも兵庫の西果ては、そんな程度でした。正直なところ。
それの凄まじさを痛感したのは、・・・「そこ」へ立ち寄った時でした。

たまたまなんですが、
あの震災から1か月後に、大阪にアメフトの防具の買い出しに出かけたんです。
まだ鉄道は不通、代替えバスの乗り継ぎで移動、という時期でした。
・・・だからこそ実感できたとも言えます。
明石で強制下車となり、そこから代替えバスで東に向かう事になったのですが、
・・・東に向かうに連れ、町の風景が急速にすさんでいったんです。
通り一本過ぎるたびに、まるで写真集のページを捲るがごとく、劇的に。
まるでゴーストタウンに入っていくような感じに思えました。

そして、バスは山並みを越え抜け、ようやく開けた風景に面し、神戸の長田を目にした時。
・・・
タイムスリップしたのか。と錯覚しました。
「ここは戦時中か?空襲の跡か?」と疑う程。

そこには、ただ瓦礫があるだけでした。
瓦礫の山ですらなく、ただひらすら瓦礫でした。
圧倒的な廃墟だけの町。
未だもって、あの殺風景は忘れられません。

そして道中、思い立って三ノ宮に立ち寄りました。
1年浪人した折、予備校通いに通っていた思い出深い街。
・・・見る影がありませんでした。
見慣れた阪急三宮の駅舎は、崩れ落ちてて、向かいの商用ビルが幾棟も倒れかけていました。
かろうじて救われたのは、それでも人の流れがあった事ですね。
それが何とか、ああ、まだココは生きてんだ、と感じられました。

その後、大阪に移動し、目的地の福島駅に着いた時。
・・・今までと変わらぬ日常がソコにあったことに、また愕然としました。
あの震災が、どれほどすさまじい出来事であったのか、知るには十分な片道3時間だったと
今でも思っています。

私自身にとって、とても大きな経験でした。
これがあってから、自分の人生の「生きる」という定義を随分考えさせられるようになってます。
死はこの世で唯一必ず起こる事実であり、
生きるとは、どうやって我が死を納得して受け入れられるか、という生き様の追及なのだな、
と思うようになり、
でも実際はそんな考えとは程遠い些末な生き方に終始しつつ、
でもだから這ってでも前のめりでいたい、という思いで挑んでいけるのも、
この時の経験があるからでしょう。

そういった意味では、かろうじて当事者でなかった者にとっても少なからず影響を与えたこの災害を、
その時代を体験したものとして、留め置かねばならない事とするのは、もはや務めでしょう。
重い務めではありますが。

実際それが因果になっている事もあります。
未だに続いている私たちのアメフト同期での新年の飲み会は、この時卒業旅行をとりやめ、
その代わりに集まろう、としたのが始まりでした。
おかげで私は当時の仲間と未だに懇意にできてるわけで、おかげで救われもしました。

でもだからといって、あれを1事件としてしまう事はできないでしょう。
生き残っている私たちは、亡くなられた方たちの想いを伝えるべく、
この事を糧として、生きていくべきだと思っています。
それこそが、亡くなられた方々への最高の供養ではないか、と信じています。

願わくば、全ての人にとっての人生の糧でありますように。

ではではヽ(´ー`)ノ。
posted by りちゃ。 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ふ事 *~(゜゜)
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