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2019年01月10日

【アメフト】姫路獨協大学アメフト部WILDBOARSバイオグラフィ[1991年→1994年]

前回書きました、私の母校:姫路獨協大学アメリカンフットボール部「WILDBOARS」の足跡を続けて辿ります。
今回は、私が在籍していた当時である1991年〜1994年となる、べきなのですが。。。

さて前回書きました、私たち姫路獨協大学アメリカンフットボール部員にとって誇るべき「伝説の世代」の後に、私は姫路獨協大学に入学しました。
ようやくアメリカンフットボールをやる事が出来る楽しみと、Div3とはいえ想像以上の実績と厚遇を受けているアメリカンフットボール部に、大いに希望を抱いて門を叩いた事を、今でも覚えています。
その当時を振り返る動画をここに…掲載したかったのですが。

残念な事に、殆ど残っていません。
部を支援していた当時の時点で、大半が喪失していました。
近々の記録の為に上書きされたモノもありました。
作業に取り掛かった際、愕然とした事を今も覚えています。

この事に関して、後に続いた後輩たちを責めるつもりは全くありません。
日々の練習において、各々の撮影を使うテープが不足する事はしばしばありましたし、その急場を凌ぐ為に残しておいても困らない記録が入ったテープを上書きする事は至極自然な行動です。
先の飛び抜けた実績を残した世代や、身近であった直近の世代は流石に憚るでしょうが、かなり前に卒業した世代なら…となるのも自然な事です。
またそうでなくても、テープ自体が劣化しすぎて再生もままならなかったでしょう。
責められるべきは、残すべきと思える成果を残せなかった私達自身だと思っています。
残せなかったと書きましたが、それでも毎年常に優勝争いに加わっていました。力量という意味では見劣って無かったと思います。しかし成果が得られなかったという点では当事者以外には魅力が乏しく、淘汰されたのも、自然な事だと思います。

この様な事情から、私が1回生であった1991年シーズンは、1本も残っていませんでした。当時Div2-Div3対象のオールスターゲーム「西宮ボウル」に、Div3でただ一人選出されたCB24番松尾氏が率いた素晴らしいチームでしたが、その面影を辿る事は出来ませんでした。

次の1992年シーズンのものは、1本だけ残っていました。

[19921115 姫路獨協大vs神戸商船大]
秋の最終戦、神戸商船大(2003年に神戸大学と統合)との一戦です。多くの方にはあまり見慣れがない、フィールドを縦方向にに観て撮影するバーティカルという手法で撮影されています。(※攻撃を分析する際に用いる撮影方法です。)
この年は、先の1990年・1991年を支えた主要メンバーが卒業し、4回生がわずか3名、しかもその内の1名が家庭事情から春で引退したという状況で、人材的に経験不足が目立つシーズンでした。
しかしその中で、前回名前を挙げた野村氏を始めとする3回生が台頭していき、また私たち2回生の世代でもRB/P31番浅沼氏を含む3名が高校アメリカンフットボール経験者という事もあり、この世代を中心に力を蓄えた年となりました。後にビデオ撮影していく活動のきっかけとなった、加古川オズナスで活躍した鉄人CB7番松谷氏も、同期としてこの中に名を連ねています。
とはいえ粗削りな面は拭えず、攻撃が散発してロースコアに試合に終始していたのを覚えています。
この時、私は負傷していてスタイルすら出来ていませんでした。夏合宿で左膝靭帯を損傷しリハビリ中であった為です。(この件は「【いい事探し】A大学。アメフト」で認めています。)
出られない分、何かを補佐したいと思いつつ、未熟さから何も出来なかった歯がゆさも覚えています。

この翌年1993年は、経験を積んだ世代が多く残り、とても強いチームとなりました。
新人勧誘も毎世代10名強を入部出来ていた事もあり、人員面でも充実していて、Div3でありながらツープラトン構成(攻守選任体制)を実現、キッキングにおいても有能な選手が揃う、大変贅沢な環境を作り出していました。この時、野村氏4回生が傾倒したアラバマ大HC"ポール“ベア" ブライアント"の提唱するディフェンス最優先主義を取り入れ、人材をディフェンスに集中した結果、殆どの試合を0点で抑える強力なチームとなったものです。
それ程のチームでありながら、残っている試合は1試合だけでした。

[19931017 姫路獨協大vs兵庫医科大]

格下であった兵庫医科大との試合ですが、当時のチーム強度がよくわかる記録です。
先の野村氏、浅沼氏を始め、2本目の選手達も着実な成果を、秋本番の試合で挙げている事でご理解頂けると嬉しく思います。
そして、この試合の終盤の数プレーだけ、私がWR84番として出場しています。
負傷からリハビリして、後輩に出遅れつつようやく出られるまでに整え、様子見を兼ねて出場したところだったのですが、見ていて恥ずかしくなるお粗末なプレーぶりを晒しています。この時は、とにかく試合に出られた、という事で安堵していました。
そして、これが唯一のプレー記録でもあります。
この後、再び右手指を負傷して離脱する事になり、その後も負傷続き、結果成長どころか殆ど満足にプレーする時を確保できず、現役生活を終えました。
この様な無様な姿を見せているモノですら、私にとっては大切な記録となっています。

そして最上級生として過ごした1994年シーズンです。
私の事情はさておき、経験者が豊富な世代が揃う私達の代が仕切る事になり、躍進すべき環境であったはずですが、夏に当時の2回生が大量に退部するという事件を起こしてしまいました。今になって振り返ると、原因は私たちの各人の少しずつにあった、考えの齟齬が招いた事だと思っています。先に挙げたように経験者が多くいた事等から、私達の代は耳目・経験共にかなり高いモノを持っていたと思います。ただそれ故に強すぎる自我と意識を各々に持ち主張していた為、当時の後輩達には軽んじられていると思わせてしまったのでしょう。それが顕著化した事態だった様に思います。
またそれを、意に沿わない者は去るべしとした為、人員面に大きく空洞が出来た年となりました。
私は負傷で長年出遅れていた身として、立場なく何も出来ず佇んでいました。
この年の試合も、残っているのは1試合だけです。

[19940925 姫路獨協大vs岡山理科大]

結果、私が在学していた当時の試合は、これが全てでした。
あまりの少なさに絶句したものです。
また残っていたモノも、私達の中で思い入れがあった優勝を争うようなモノでなく、当事者としては格下相手故、取り立てて気にも留めていない様な試合ばかりでした。
この大きな要因は、卒業して時間が経ち過ぎ、時流として価値が薄れていた事、テープ自体が劣化してしまった事、何より優勝していないので特筆して残す価値が無かったからでしょう。やむを得ないとはいえ、自分が想いを託して挑んでいた事柄を振り返る術がない、残した証が無いという事実は、空しい想いに満たされます。拠り所となったモノを示せない現実は、喩えようもないものです。
出来る事ならば、今なお挑んでいる選手達にはこの様な想いに囚われて欲しくない、という思いが、今の私の活動原点になりました。今も頑張っている方々に伝われば幸いに思います。

取り留めないままになりますが、ひとまずここで区切ります。
次年度からのものも、改めて認めて参ります。

ではではー^^)/。
posted by りちゃ。 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 思ひ出ほろほろ
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