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2019年01月12日

【アメフト】姫路獨協大学アメリカンフットボール部「WILDBOARS」バイオグラフィ[1995年]

母校、姫路獨協大学アメリカンフットボール部「WILDBOARS」を振り返っています。
今回は、私が卒業したすぐ後の世代となる1995年シーズンです。
その記録ビデオは意外に残っていました。
おそらくはこの時のQB,WRが、後々までの後輩たちの励みとなる選手となった事にあるからだろう、と思います。
そのおかげで「彼」が躍動していた姿が残っていたのは、幾らか救われた思いになりました。

さて大学時代のアメリカンフットボール活動風景を振り返るのも、3回目となります。
今回は私が卒業してすぐとなる、1995年シーズンになります。
この年の状況を簡単に述べると、最上級生である4回生の陣容は1年次より試合出場も重ねていておりましたが、昨年私達の代で起こりました下級生大量退部の影響で、主戦力格になるべき3回生が殆どいない状態で挑まねばならない状況にありました。私達の時よりも層が薄くなり、負傷者が出た場合の補填が難しい状況にあったと思います。
特にラインの人員が大きく不足してしまいました。新人として立命館大から編入参加という極めて奇特なそして貴重な新人、後の主戦ラインマンとなった大槻氏が加入しますが、全てを補填するとまでは行かず、それまで拘ってきたオフセットI体型からのランファーストによるボールコントロールスタイルを貫くのは難しい陣容になっていました。(2019.1.13 加筆致しました。)
それも理由の一つとなって、この年はショットガンからのパッシングオフェンスを導入して挑んでいます。
チーム状況を考慮した上での苦渋の選択…と取られかねないですが、これは負の要因で、別の角度で見てこの方がチームの陣容に合っていて良い、と判断した戦術選択でもありました。
それが理由に、層の薄さ、戦術の大転換を強いられた環境から、結果この年も優勝叶わず、で終わったにも関わらず、記録ビデオは3本残っています。


[19950429 姫路獨協大vs大阪商業大]


[19950520 姫路獨協大vs獨協大]


[19950903 姫路獨協大vs姫路工業大]

これだけ残っていたのは、想像ですが、この時のQB9番鈴木氏の存在が大きいと見ています。
彼は高校野球経験者で大学に入ってからアメフトを始めた選手でしたが、とにかく出色の選手でした。
一見、文化部系に見える優男という風貌なのですが、投げればドロップバックから40〜50ydを軽々と投げ込み、走れば常に40yd4秒台、しかもべらぼうにコンタクトに強く、1on1のヒットメニューではライン選手もたじろぐ程、実際試合でスクランブルのラン時に、相手LBがヒットしたら、その相手LBがタンカで担ぎ出されるシーンが幾度もありました。頑健、強肩、俊足の全てを兼ね備えた稀有の選手だったと思います。
余談ですが、彼らの世代は本当に有能な選手が目白押しでした。入学してすぐに「QB選別テスト」と称して遠投大会をやっていたのですが、例年30yd強を投げられる人が一人いるかいないかというこの大会で、40ydオーバーを投げる人が4人も出てきて悩んだものです。ラインでも100kgオーバーが2人もいる等で、早くから試合に出場する選手多数でした。その中でも抜きん出ていました。
その才能と素材故、昨年である私達の代からスタートQBに抜擢した程です。最上級生4回生に高校アメフト経験を持つQBを挿げ替えて、までです。
またもう一つの幸運がありました。丁度彼が入部した年、チームに新しくHCをして頂ける方が加わりました。関西学院大OBで60年代の黄金期を支えた名QB、勝田瞭二氏です。確か当時大阪市立大のコーチをされていたところ、当大学を支援頂いた安井一郎氏(慶応大OB)が勧誘され、実現となったと記憶しています。この勝田氏に天塩をかけて頂き、QBとしての薫陶を受けていました。

その為、前回の記事に掲載した私達の代の試合でも出ていますので、言葉を裏付けるプレーぶりをご覧頂けると思います。
「19940925 姫路獨協大vs岡山理科大」

また受け手であるレシーバーも潤沢でした。彼の同期として同じく4回生に、WR10番石井氏、WR6番北氏、そして1学年下の3回生にWR24番松本氏が布陣していましたが、いずれも1年次から試合に出場し実績を残していた選手が揃っていました。それは言い換えれば上級生であった私の不甲斐なさから生まれた、我が身には些か恥ずかしい幸運であった事は否めませんが、他のポジションは長年私達やその先代が主力として埋めていた為、シーズンを通しての実績が最もあるのが、QB、WR陣となってました。このWR達の内、WR10番石井氏は卒業後、愛知ゴールデンウィングス,清水建設ブルーサンダーズで、WR6番北氏は全日空ホークアイでプレーを続け、スターターとして活躍し、WR24番松本氏は家業を継ぐ際に選手として引退しますが、最上級生の時に副将としてチームを再興に導きます。(一部誤っていました;;2019.1.13訂正致しました。)
私の誇れる素晴らしい後輩達です。

この陣容で優勝を狙うなら、やはりラインの負担を軽減すべし、QB9番鈴木氏の能力を最大限に活かすべし、となるのは自然な事で、ショットガンで行くとなったと見ています。
その効能は大きく、ドロップバックの制約から解き放たれた事から、鈴木氏のターゲット捜索範囲の拡大やスクランブルの効果が格段に上がりました。ドロップバックからでも2人のレシーバーは捜索出来ていましたから、ショットガンにした事でほぼ全員を網羅していた様に見えます。またパスラッシュにも動ぜず処理していた事でも効果絶大だったと見ます。

惜しむらくは全員がショットガンに馴染む時間が少なかった事でしょう。パスありきの戦略はチームにとって未知の領域でもあり、先のWR陣にも重圧があったと思います。その為か捕球ミスも出てしまい、空転している時も見受けられます。また、パスアタックを軸にして攻撃を組むという事は、成功時に大きく前進するが不成功時に時計が止まる為、代償としてプレーをしない時間分試合時間が長期化し、しかし攻撃で消費する時間が著しく短くなります。結果、ボールコントロールスタイルとは真逆に1試合の時間は長くなってしまう事、相対的にディフェンスの出場時間が長くなってしまう事で、ディフェンス陣の負担が大きくなってしまいました。私達の代や先代の、人員が潤沢に揃っていた時期なら問題ないでしょうが、人数が著しく減少したチームにとっては負担が厳しかったと思います。それが最終的に優勝には至れなかった要因であろうと見ています。

しかしそれを除いても、この時のQB9番鈴木氏のプレー振りは、一見の価値があります。それが記録ビデオが多く残っていた理由と見ています。現在の学生・社会人1部で活躍するQBと比べても、何ら見劣りしないと思います。
実際、彼はシーズン後に行われるオールスターゲーム「バーシティボウル」にただ一人選出されましたが、川崎球場での試合の際、出場した3Qのプレーを観ておられた関東のファンから「スゴイヤツがいるぞ」と感嘆の声が挙がっていた程でした。
あと1年長くこのスタイルをやれれば、あと1年早く導入に踏み切っていれば…と、またしても成し得なかった「かも」を思い巡らせてしまいます。

ただ鈴木氏本人としては、QBをやるのは終始嫌がっていました。自分には向いていない、とです。何故?と訝しがっていましたが、今はわかる思いです。
彼はスポーツをシンプルに楽しみたい性分でした。そして完璧な形を求めたい美学もありました。その為、シングルタスク(=単純な指示)を完璧に追及出来るポジション、いわゆるキッキングチームのタックラーやDEといったポジションを終始希望していました。同様に重責を受けたくない思いもあり、QBやRBではなくWRに回してほしいと懇願してもいました。試合を決する作戦立案や状況に応じた判断を自身で考察し続けるQBは、最もやりたくなかったポジションだったと思います。
しかしその才能の惜しさに、周囲の全てから説得され、半ば止む無く従ってプレーを全うしたわけですが、それがあったからでしょうか、この程の才能を有しながら彼は大学生活でアメリカンフットボールの選手を終えました。周囲は勿体ないと声を揃えましたが、本人にとっては、もう十分だったのでしょう。
今思うと、京都大学で名を馳せたWR/QB杉本選手の様に、せめて1,2回生時に希望するポジションで使っていた方が彼の為だったのかもしれません。ただ当時は杉本選手の様な例は稀有の事例でしたので、思いもよりませんでした。これも叶わなかった「かも」の話です。

また、この年の選手として、もう一人取り上げます。
この時の副将であるDB16番森川隆弘氏です。彼も高校野球を経てアメリカンフットボールに挑んだ選手です。そして先に挙げた、遠投で40ydを越した一人でもあります。
彼も鈴木氏に負けず劣らずの万能選手でした。小柄でしたがボールを扱えるポジションは、全てに抜きん出ていた選手でした。RB,WR,DB等のどれをやらせてもスターター級のプレーをこなせましたし、投げるセンスも素晴らしいモノがありました。性格も良く、生真面目だが社交性にも富み、ジョークやいわゆる体育会的体当たり芸も卒なく使い分け、在籍する先輩・後輩は言うに及ばす、既に卒業した創部時からのOB達からも絶大な信頼を得ていました。鈴木氏がいなければ、彼がQBを務めていた事でしょう。実際、入部が確定した後、各ポジション間で彼の争奪戦が起こった程です。この時にチームの中心的存在になっていた野村氏が先に掲げたツープラトン体制構築の際、将来のDB陣の中核としたい事からDBに落ち着いたわけですが、それからも目覚ましいプレーを連発しました。一例を挙げると、ショートパターンのパスをダイビングキャッチでインターセプトする、自分のレーンに飛び込んできたRBを悉くソロタックルで仕留める、殆ど練習していないWRで急遽出てパスキャッチを決める、という具合です。同時期の者として絶句する程の、そして見蕩れる程の才能でしたが、それを全く誇示・誇張しない謙虚さと誠実さを持った、本当の好人物でした。
彼の存在が、優勝に辿り着けず瓦解しかけたチームの流れに、大きな楔となってくれていたのだと、今は思います。
もし彼が健在であれば今と状況は異なっていたかもしれませんが、残念ながら彼は既にこの世にはおりません。ここでも幾度が書き認めてきた通りです。
「2010年7月16日のブログ」
「2011年1月16日のブログ」
「2012年8月12日のブログ」
「2014年1月5日のブログ」
もし彼が存命であったなら、今と状況は変わっていたのかも、と思う事はしばしばありますが、これも事ここに至ってしまったからこその「かも」の妄言です。せめてここに挙げた動画の中にある、躍動する彼を感じ観て頂ければ嬉しく思います。

思い入れのある世代な為、書き始めるとどうしても文面が長くなってしまいます。
またしても取り留めのないままになりますが、このシーズンの事はここで筆を置き、続きはもし機会があればとさせて頂きます。

ではではー^^)/。
posted by りちゃ。 at 17:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 思ひ出ほろほろ
この記事へのコメント
お疲れ様です。
サイクロンズではなく、愛知GWですよ。
あと秋のリーグ戦はVHSで残しています!
Posted by #10 at 2019年01月12日 21:54
#10様

コメントありがとう!観てもらってて感謝です。
あら?記憶違いしてましたかw;;。失礼しました。
後ほど訂正させて頂きます。
しかし、持ってましたか。当時の試合。
流石だなぁ(*´ω`*)
もうVHSを編集する機材が無いのがツライですが、機会あればお借りして加えたいものです。
その時は、宜しくです(。・ω・。)ゞ
Posted by りちゃ。 at 2019年01月12日 23:43
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