【一言感想】コレ、観る方もチカラ要ります(゜゜;えー、それでは1日に観て来ました映画レポいきまーす^^)/。
いつものパターンだと「観たモノ順」に書いていってるんですが、今回はあえてこの作品から、としましたー。
「ノルウェイの森」もー言わずと知れた、村上春樹氏の大ベストセラー小説の実写映画版ですね(^^)。
何故これからレポ開始にしたかと言いますと、単純な話。この映画、多分今週か来週あたりで公開終了になると思うんですよ。
実際今回観に行ったMOVIXは2/3までとなってました。
なので見損ねている方に出来るだけ早めにレポを…と思いまして最初にしたわけです。
ですが、正直語れる程のウンチクは無いんですよねーw;。
と言うのも。村上春樹という作家を大メジャー作家にのし上げた、発売時に空前絶後の売上を記録したこの作品を、私ま〜ったく読んだこと無いんですねーw;;。
あ。全くというとウソになりますね。冒頭部のほんの数ページだけ読んだ事ありますw。でもさっぱりワケがわからん出だしだったので、それっきりでした。
ちょうどオンタイムな時期(1987年発売。高校生でしたw;)に出たと言うのにねぇ;;。
けど、少しだけ言い訳させてもらいますと、当時の評価は「所詮流行作家の一人だ」とか「単に過激な表現が受けてるだけらしい」とか言われてて、そんじゃ〜別にいいか〜、となってそのままになったんですよ。本当に。
今更ながら生意気でめんどくさがりな高校生だったわw;。今回の映画化に際して重版もされてると言うのに、当時の心象が根強くて、今の時点で氏の作品は全く読んでいません;;。
それに、いつもの事ですが、基本的に映画を観るからといって、その原作を予め目を通すというのはしてませんので(別物ですから。基は同じ素材でも媒体が変われば表現されるモノも異なるのが常です)、今回もそんなノリで観たと言うわけ。
それでもこの映画を選んだのは、読んだ事がない人でも知っている、氏にとっての代表作と言って過言でないこの作品が映画化される、というだけでも、まぁ観るべきかな〜と、そんなノリでした。
で、観た感想なんですがね。
ちゃんと小説読むんだった(゜゜;と、ホンキで後悔しましたよ。さっき述べたような先入観、吹っ飛びました。
見事なまでに純文学。見事なまでに叙情的で甘美な世界観。端的で辛辣なセリフ回しなのに、なぜか優美。
そしてそのセリフとセリフの合間に、その登場人物たちの心象風景や描写を補うように撮られた、まるで行間紙背(※)までも表現したかの如く写し出される映像の数々。
(注※:行間紙背ってのはー、文章と文章の間にある描かれていないその場の雰囲気を読む、という意味です。)
すごい;;。見事すぎる><。
この映画を撮った監督の、村上春樹氏へのリスペクトがハッキリと感じられる作品でした。
日本人以上に理解してるよっ。ホント(゜゜;。
すんばらしく見応えありましたっ。ですが、逆を言いますと、予めハルキニスト(村上春樹氏の信者的ファンを指して、こう称します)とまでいかなくても一通り小説を読まれて方がいいかなー;;。
でないと、相当疲れますよー(^^;。
なんせセリフ一つ取っても、
本来ならこの問いかけに対してこう返したいはず
→だけどそのままその通りに返してしまっては本当にその人物が伝えたい思いが正しく伝わらない、
→ので、その人物はあえて揶揄的に表現しようと思いながら、
→しかし、そのように返すとおそらく相手はこのように返してくるだろうと思い、
→さらに先読みしてひねった言葉を返す、
という様な、めっっちゃ観てるほうにも読解力を必要とする表現&シーンの連発、、、というより、それのみー><という世界でしたからねー;;。
見終わった後、すんげぇ疲れました(--;。と、同時にものすごい充実感ありましたよ(^^)。
…とまぁ。
まー普段なら、こんな感じのレポで終わりー、というところですが、この作品は前出の通りもう公開終了間近でもありますし、小説のほうでストーリーを御存知の方も多いと思いますので、もう少し中身に関しても書かせてもらいますねー。
えー、既にご覧になられた、あるいは小説を読まれた方ならご存知だと思いますが、この物語は主人公と、その親友であったキズキとその幼馴染にして彼女である直子との人間関係と、それが生み出した悲劇の物語です。
正確には、親友であるキズキは冒頭のうちに自殺してしまい、中核は残された主人公と彼女であった、そして後に主人公の彼女となる直子の物語になるんですけどね。
でも実際には、終始キズキの存在がこの物語を左右する要素になっていますので、やはり3人の物語だと感じました。
主人公と直子はキズキの死のショックから、一旦は疎遠になりますが、主人公が大学進学し東京に出てから再会し、恋仲となり一度は結ばれます。
しかし、その時から直子は、破綻します。文字通り、破綻します。
何故破綻したのかは、劇中でも直子自身の口から告白されますが、私はそれを聞いた時、いたたまれませんでした。
理由が、私が壊れた理由とあまりに酷似していたからです。曰く「幼い頃からあれほど好きだったキズキを受け入れられず失い、自らの全ての見分けがつかなくなった。そして主人公と出会い関係を持てた時、何故あれほど出来なかった事が主人公とならできたのか、自分で自分の事が、人の愛し方というものが全くわからなくなった。」…
聞いていて観ていて、強烈なまでに襲い来る自身への絶望感が、ものすごく共感できました。
私自身、壊れた時はそれと近い感覚だったからです。幼少の頃より物心つくか否かという事から、私はこうあらねばならない、と薫陶のように父母や祖父母から教え込まれ、それが正しいと信じきって生きてましたが、勤めていた折、自分でも過剰なほど動いていた折にその当時の上司から追及された言葉、「あんた、何のために生きてるんだ?」と追求された時。
それに対して返した答えを全否定された時。私は私の中で全ての目盛りが消し飛んでしまいました。
以来、何を持ってして正しいのか間違っているのかが自分で全く判断できずにいる時間を数年間耐え、あげく破綻しました。
(後で教えてもらいましたが、あの時、彼は意図的に私の価値観を壊すためにそうしたそうです。それまでの会社の流儀ではその当時の事業は成功しないという考えだったそうで、そのためには部下である私の持っているその会社で学んだ会社人としての尺度を壊し、自分流の尺度にあったように再構築するつもりだったようです。まさか私の存在理由まで壊してしまうとは想像もつかなかったようですね。)
まー、そんなこんなで今に至ってますが、現在私自身は絶賛再構築中です。目盛が飛んでるのは相変わらずですがw;。
閑話休題。
とにかく、その体験があったから余計に、直子の心象状態が痛いほどわかりました。
それを主人公は必死に献身的なまでに介抱していくのですが…哀しいかな、それはすればするほど、歩み寄れば歩み寄るほど直子にとって過酷な事だったと私は思います。
なぜなら主人公は直子にとって絶対の存在だったキズキという存在を思い起こさざるを得ない、究極の存在なのですから…。
直子自身、主人公の好意しか、もはや存在している意味が感じられない人生になってしまっていた(つまり人生の目安となる目盛りが壊れていた)のですが、と同時にその主人公が自らが存在している事を実感できていたキズキを喪失してしまったという事を想起させてしまう絶対無比の存在でもあるという矛盾。
存在してほしい存在が、実は自分の全ての存在理由を失ってしまった事を常に思い起こさせてしまうという存在。
とてつもない、取り返しようのない、パラドックス。
直子がどれほど凄まじい葛藤をしていたか、そのあげく精神を病み隔離された施設に入ったかが、痛いほど伝わりました。
その中で主人公は、何としても救い出したい一心から、直子を迎え入れるため、大学寮を出てアパートを借ります。
「一緒にそこで、暮らそう。待ってる」と。
その後、直子は一層破綻します。その気持ちがすごくわかりました。
直子はさっき書いた矛盾を気付きながら、時に自分にごまかし、時に苛(さいな)まれながらも、何とか乗り越えて主人公のもとに戻りたいと願ってました。
しかし、主人公がそのための用意をした事により、いよいよ追い詰められたのです。彼は待ってる。何としても決着したい。と。
が、それは同時に自己存在の矛盾を突きつけられる事になっていったのだと思います。日を追う毎につれ。
その結果として…直子は、直子という存在である事を止めたわけです。主人公にとっては唐突に。でも直子にとってはそれが唯一の選択肢であったかのように。
主人公は深い失望と絶望に落とされます。自らが愛してやまない人を2人も失ってしまった事に対して。
もしそのままであったら、主人公も直子と同じ運命だったでしょう。おそらく。
ですが、主人公には幸いにも共感者というべき人が残っていました。直子が施設にした時に同部屋でいた年上の女性でした。
彼女も同じ心を病んだものとして、直子の事を親身になって世話していました。その甲斐なく直子を失ってしまった悲しみに自らも壊れそうになっていたのです。
主人公と彼女は、互いにその悲しみを共感し慰めあい、そしてそこから旅立つために一度だけ関係します。"儀式"として。
その事で2人はようやく次の人生への一歩を踏み出せました。
映画では、その象徴ともいうべきワンシーンがあります。
文字通り"儀式"の後に入っていたシーンですが、主人公と直子と彼女がとある川のほとりにいるシーンです。
このとき主人公は木の上に上っていて、二人には眼を向けず画面右のほうを、はるか遠くのほうを眺めています。
その木の下で"儀式"を行った彼女は、直子に軽く視線をくれてから、振り向き様に右のほうへ歩き出します。
そして、直子はそれを一目見送ると、その場で反対の画面左側に目をやり、そのまま左のほうを眺めて立ってい続けます。
私は、これは彼らの生き様を見事に表現していると感じました。
多分、画面の右側は未来を示していて、左側は過去を示しているのだと思います。
主人公は、はるか先の未来へを眺めつつ、しかし、足元にいる彼女たちの心象にまで目が行き届かなかった。
直子は終始、キズキとの過去に自らを懐かしみつつ、その場を動けなかった。
そして、"儀式"をした彼女は、それをもってして彼らとの関係にケジメをつけ、未来に向かって歩み始めた。
そう取れました。
一言のセリフもない、でも3人の生き様がすごく伝わるシーンだったと思っています

。
正直、これだけ書いてても、まだ書き起こしておきたい感想が止め処なくあるのですが、あまりにも取り止めがないのも何ですし、それにそもそもこれは私が感じた所感でしかないですから、実際に見られた方によっては全く違う感想もあるでしょう。
なので、この辺でこの作品に関しての事は留め置く事にいたします。
あ。でももう一言。
この作品で書かれていた1960〜70年代の、激しく躍動的な時代にも、今の閉塞的な時代と同様に「病んでしまった人」は存在していたんだ、という事は、今の私にとって救われました。
と同時に当時そのような人がどのような扱いであったかを知り、今の境遇にある自分はむしろ恵まれていて、救われているんだなと感じる事ができました。
つくづく、若い時に偏見持たずに読んでおくべきだったなぁw;;。ま、"たられば"ですがね。
とにかく、いきなりの長文となりましたがレポ第一弾とさせて頂きますー

。
ではではー^^)/。
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コメント、ありがとーございますっ。(o_ _)o/☆ゴチッ
お返事でーす(^^)。
>せいてん丸様
有難うございます〜(^^)。
まぁ、アイテム自体にはちと残念ですが、何らかの形で使い道考えてみます〜☆