「誰でも下ネタマンガ描ける「コミPo!」、手塚氏遺族に訴えられる 」
私個人としては、アニメ・漫画界の巨匠手塚治虫氏ご遺族からすれば、まぁさもありなん、と思いますが、この著者とも言うべき「田中圭一」氏に関しては、私自身むしろある種の敬意を持って、目にしています。
そもそも手塚治虫氏の作品は、ありとあらゆるテーマへの、漫画・アニメという手法での挑戦が特筆に値する歴史的価値であったと私は思っています。
今でも思いますが、政治・宗教・テロ・SF・サスペンス・歴史・時代物・オペラ・リンカネーション等々あげればキリがないほどのテーマを基に様々な作品群を世に残されました。
おそらく、今に至るジャパニメーションの隆盛の根幹は、この方が拡げるだけ拡げた、そのアプローチできるテーマ性の幅広さにあるのではないか、とも思っています。
そして、そのテーマの一つに、エロス、というものも含まれています。というより、おそらくどの時代の作品にも、このエロスというものが燦然と主張されていると思っています。
おそらくですが、氏はエロスというもの、つまり生命というものに対しての決して贖え無いカルマ(業)というものを残したかったのでしょう。
それを常に念頭に置かれていたとも思える内容です。
そして、そのことに対して最も純粋に、かつ敬意を払いつつ、しかし極端にオーバーデフォルメして極めて精密なパロティエロギャクコメディ漫画として描かれているのが、この田中圭一という作家さんだと思っています。
![]() | 新品価格 |

初めて目にしたのは、まだ手塚氏がご存命のうちだったのですが、正直「えっ!?手塚氏、ここまですごいの、やるの!??」と見間違えた程です。それほどの完璧な模倣力。
画風だけでないです。ストーリーの構成、レイアウト、表現に用いられるオトマノペ…全て完璧に本人そっくり。
当時は単なる手塚マニアか、あるいはアンチ手塚氏かと思っていたのですが、その後の作品群(本当にもー様々な名立たる作家の方々をパロってエロってます;;)を見ていくうちに、この人、実はものすごい能力を持っているだな、と思うに至りました。
おそらくですが、田中氏は相当の画力・実力を本来は持ってらっしゃる方なのですが、何らかの限界(多分、独自性というモノ=制作者としては最も重要な要素ではないかと思ってます)をお感じになられ、今のスタイルに行かざるを得なかったのかな、と。
ですが、それは同時に他の方への侮辱とも言える行為になるのは必然なので、それに対しての精一杯の敬意と尊敬の念を自らの力量をかけて表現しつつ、パロティされている、というのが読んでいてひしひしと感じます。
なので、だからこそ、今まで多くの著名な作家の方々の作品をパロティ化されてきても、当該者から糾弾されず、一般の方からも支持されてきたと思っています。
(現に今回取り上げている単行本のオビには、手塚氏のご遺族の方が直筆されています。)
それを勝ち得たというだけでも、すさまじい葛藤と熱意がなければできないと思います。その点ですごいとも言えます。
ただ、今回のサイトに関しては、私も賛同できないですね。
田中氏のエロパロは、田中氏の画力とオリジナル作家の方への尊敬の念が常に含まれているからこそ許されるのであって、それ以外の方の「単に茶化したもの」まで一般大衆の目に公然とさらけ出すというのは違うと思います。それは単なる侮辱行為ですから。
ですから、この件でご親族の方が糾弾されたのは、よくよく持って当然だと思います。
「言論・表現の自由」は日本国の憲法の根幹権利の重要な一つですが、同時に起案者の著作物には同様の敬意を払うべきです。
田中氏にはそれがありました。故に認められました。
それらと、単なるパロティをゴッタ煮にするのは、頂けないな、とおもったわけです。
現に、この記事でもご親族の方のコメントにこうあります。
「一匹の田中圭一は許せても、百匹・千匹の田中圭一は許せません!」
ごもっともです。
言い換えれば、私個人としては今後の田中圭一氏の執筆活動自体が規制されてしまう事がないように、と切に願っています。この方のパロティは、本物でしたから(エロエロですがw)。
とにかく書き留めたく、ここに記します。
ではでは。