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2010年08月15日

送り盆の日。

8月15日。終戦記念日にして、送り盆の日。

今日はアメフト部の諸先輩方と一緒に、ある後輩のもとに行ってまいりました。
以前ご紹介した、故・森川隆弘という後輩の墓参り、です。
相変わらず、この日は暑いですねぇ・・・。

彼が眠っている場所は、兵庫の舞子というところにある霊園ですので、先輩方と明石で落ち合い、一台の車に乗り合いして向かいました。
(ロドはココでお留守番です。)
そして昼前に到着。
途中近くのスーパーに立ち寄って買った顕花とビール(彼、結構飲みが好きでしたんで)を持って。

一年ぶりの再会です。
ふと見ると、享年平成15年。そっか・・・もう7年も経ってたんだなぁ。
月日が流れるのは早いものですね・・・。

あ。そうそう。
ちなみにこれが普段彼が見ている風景です。
20100815-0001.jpg
街の喧騒からも離れていて、静かに過ごせている事でしょう。
あ。もしかしたら、静か過ぎてつまらながっているかも(=v=)。
根っからの、さびしがり屋の、賑やか好きでしたからね。

まぁ。
も少し待ってとくれ。
いずれは私らもそちらへ行く事になるわけだし。
その時、いっぱい話そう。
それまでに、色々経験しとくから。

そんな感じで午前中を過ごし、先輩方と近況の話をしてその場を後にしました。


で、その足で図書館に直行。
昨日から読み始めた入門書の読み込みの続きです。
今日は、あんまし進まなかったですね。1/4程度かな?
理由はさっきまでのおセンチな事ではなくて、現実的に内容を読み砕くのにそれだけかかった、という事なんですがふらふら
でも妙に納得感はあります。
今までやってた問題集の中でなかなか理屈が把握できてなかった事の説明が簡潔に示されている内容でしたのでw。
そのためその問題の箇所と照らし合わせたりしながらだったため、こんなにかかってしまった、というのが正確な内容です。
なので、とても意義はあったな、と思っています。

あと2/3程残っていますが、おそらく残りの部分もこんな感じで読んでいく事になるでしょう。
それだけ実戦経験がないって事ですからねたらーっ(汗)
でも、3歩進んで2歩下がる、を地で行ってる感じではありますけど、今はそうやって進んで行くしかないですからね。
ジワジワとでも這いずって行きたいと思います。

では、今日はこの辺で^^)/晴れ
posted by りちゃ。 at 21:05| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年08月06日

ほんのひと時の、ただ一度の色めいた時の事。

さて、ずっと一人だった、と今まで語ってきたのですけど、少し嘘があります^^;。
今までの人生で一度も「ツレ」がいなかった様に書いてましたが、実は一度だけお付き合いした人がいます。
ただまぁ、純粋な出会い・恋愛でのお付き合いというのではなく、いわゆる、ホントのお見合いでお知り合いになってお付き合いした方なんですけどね。

キッカケは母が通っていた美容院のオーナーの口利きでした。
当時は私はまだ関東に在住していたのですが、あまりに色恋沙汰の音沙汰がないので、痺れを切らして探し回ったそうです。
でも正直なところ、「関東勤務になってる息子の所に嫁いでほしい」と言っても、なかなかはい、と言ってくれる人なんていませんヽ(´ー`)ノ。
そりゃそうです。ボク自身が体験したようにそんな見ず知らずの縁もゆかりも無い土地に、どんな人物かもわからない様な人と一緒に行ってもいい、なんて方、いたら戦前並みの撫子さんですよ。
しかも、稼ぎも大したことないしw。
単純にメリットゼロですもんね。なんで全然期待してませんでした。

ところが、出てきたんですよ。それでいいから会ってみたいという方がΣ(゜゜;。
はっきり言ってビックリしました。「ま、マジで?」とホントに。

とにかく、そこまで言ってくれてるなら地元に戻って会います、と帰りましてお会いして。
こんなんですけど、とりあえずお付き合いからという事でいいですか?となりまして付き合った方がいたんです。
まぁ・・・形としてはそう称していいのかどうかですが、人生初の「彼女さん」というわけです。
お歳は一つ下の方でした。今思えば、相手の方のほうが私にあわせてくれてたかな…と思っています。

その方との交際が始まったのが、私が31歳の冬でした。…そう、つまり父の体調を理由に異動を申し出る事になる、ほんの数ヶ月前です。「むしろその付き合いのほうが理由だったんでない?(^^)」と思われる方もいるかと思いますが、まぁご想像にお任せします。後ほど結論も書かせて頂きますので、その辺も含み置きまして。

で交際と言っても、実際は大半が電話やメールでの会話が殆どでした。その事は私にとっても好都合でしたけどね(ワーカホリックでしたし;)。
それでも時には、休日にお会いして遊びに行ったりもしました。間を取って名古屋でとか、わざわざ東京まで出向いてもらって、ディズニーシーで遊んだり(あ。そんなわけでTDR,TDSに行ったのは、今のところこの時だけです(^^ゞ)。
あ、そうそう。ちょうど開催期間だったので愛知万博にも行きました。
わざわざこちらにまで出向いてくれるという事で、それだけでも相手の好意は充分に伝わりました。そしてそれまで「交際」というものに全く無縁だった私にとっても大変気遣ってくれてたと思います。

ですが・・・私のほうには何かしらの躊躇い(ためらい)がありました。その時はそれが何なのか気づかなかったのですが、何となく自分はしてはいけない事をしているような感覚を少し覚えていたんです。
そのせいだと思いますが、結局彼女とは、いわゆる「男女関係」を結ぶ事はありませんでした。先日「私は素人童貞だ」と述べました通りです。それが果たしてよかったのか悪かったのか・・・今だ持ってわかりません。

そうこうしている内に、例の父の件があり会社と交渉して本社勤務=地元に帰り、さてそうなると、いよいよこの交際のほうもそろそろ・・・という話になるべきだったのですが・・・。
結果から言うと、私は彼女との結婚を選びませんでした。

言い訳をするなら、理由の一つは仕事でした。
我を通して本社勤務となったため、会社からすると望んだ異動ではなかった私の立場は、とても流動的なものになりました。
突然新規事業の立ち上げメンバーに祭り上げられたり、根付かぬうちに今度は不良商品の構成手配の内勤担当者になったり、併せ持って企画事務や顧客・営業マンのTELサポート要員となったりと・・・。
実際辞めるまで、半年おきにどこかへの異動の話が出ては消え、消えては出てき・・・という状態でした。
半期の締めが近づくたびに今度はどんな話が出るのか・・・と不安になってたのを今でも思い出します。
そのような心境で、とても結婚という大きな選択を踏み出せなかった、というのもあります。

でも、それも言い訳でしょう。
結局のところ、本心では・・・彼女をパートナーとして迎え入れる覚悟を私はしていなかったのです。
確かに交際は楽しかったです。人生で始めての交際でしたから。
でもそれは、結婚を前提にしたものだ、という事を自覚していませんでした。その意味の大きさを。
ただ単純に交際できてるという事実に、満足していただけで「彼女」のことを見てなかった、と。
「付き合っている」というその事だけしか見てなくて、自己満足しちゃってて。
それがいざ現実の話なってきた時に、…私は逃げ出して仕事をとった、というわけです。
全く持って、ひどい男だと思います。その覚悟もないのに、散々彼女を1年間も振り回したわけですから。
挙句が、その仕事によって自分というものを壊してしまったというおろかさも含めて。ロクデナシです。
せめてもの救いがあるとすれば、そのロクデナシのために彼女の時間をそれ以上無駄にせずにできた、という事だけですかねぇ。

これが、私の唯一の男女交際の話です。不甲斐ない事ですが。
いまその彼女がどうなったかは、全く知りません。
知るべきではないとも思っています。そんな事をしたら、それこそ彼女への冒涜になりますから。
ただ幸せになっててほしいな、とは願っています。あんなバカもいたよ、と笑い飛ばせるような環境にあってくれればいいな、と。


お見苦しい内容になりましたが、せっかくの機会と思い、蛇足ながら。
では、失礼します。
posted by りちゃ。 at 18:05| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年08月05日

勢い余って、ぶっちゃけ下世話な話【18禁】

※中高生は見ないでね。恥ずかしいから^^;

さてさて、本人的には単なる自己公開のつもりで書き綴ってきましたが、見る人には重っい話を続けましたが。
読まれた方は、多分既にその疑問に薄々気付いてるだろーなー・・・。

まぁ、そこだけフィルタリングするのも何なので、その辺の事も書きますね☆
ここ数日(まぁストレートに言うと8月からのブログ)を読み終えた方なら、「あれ?って事はもしかして…(−−?」という疑問が沸くでしょう。
そう。つまり、「今までずっと一人だった」→「という事は付き合った人はいないはず」→「って、まさか童貞って事はないよねぇ^^;」
という疑問に、です。

結論から言いましょう。

はい。ご想像の通り、素人童貞です!Σ(゜゜クワッ

いわゆる「お金を払って」致した事はありますが、普通の交際から発展したソレは全ーったくございません。
そもそも「交際」自体がなかったんだもん^^;。

しかも、も少しぶっちゃけると、ここ10年近く、それすらも行ってません!
多分最後は新潟に出張したときだなー、と思い返すと、おおΣ(゜゜ふた桁は行ってないや、と自分でもビックリ。

「えとー、男の人って、そんな平気なものなの?」という疑問持つ人もいると思いますので、そこも補足。
んなわきゃない。したいもんは、したい。です。ホントは。
ただ、お金を払ってするのは、もうコリゴリです。私自身は。

この辺は、その人によって違うようなんですけど。
ある人は今でも事ある毎に、風俗通いしている人もいます。
その人の考えで言うと「お金さえ出せば、たくさんの若い女の子とエッチできる☆」との事。
それはごもっとも。ある意味、男として正しい発想です。

じゃ、私はなんでしないのか?
・・・はっきり言えば、セコイんです^^;。
確かにしたいけど、そのために数万円も使って、しかも1回こっきりなんて勿体無いの極み。
それが理由ですね。

でも若いとき(20代)はそれでも、何度か通ったんですよ。
あまりにさみしくて。男として、したくってw。
でも、した後にものすごーく後悔しちゃうんですよね。
「あー…これじゃまるで女の子をトイレ代わりにしてるのと一緒じゃんかよ…」という罪悪感と、
「そのためだけに、2万も出すオレって・・・」という自虐的な感情でね。
自分がやってる事に悲しくなっちゃってました。

その極めつけは、そのとき上手く出来なくって、相手してくれた子から「まだ出来ないのぉ?」といわれた時。
なんか男として全否定された感じになって情けなかった・・・(それでもまぁ、しましたがw)。

そんなこんなで、今は全くソチラにも行ってません。
誘われても行きません。多分、もう行かないでしょう。

今だからわかるんですが「男がしたい」という衝動にかられるのは、
「自分の存在を認めてくれる誰かが欲しい」
という衝動なんだと思います。
男って基本的に自分自身では「生み出す」事ができない運命なので、認めてくれる存在が無いと、存在している事自体、否定されたものになってしまうんです。
その事を本能的に知っています。だから必死になって自分を誇張して必要性を訴え続けるんです。
それで受け入れられる方に出会えたら幸せですが、認められなかったら・・・男は現状を破壊してでも訴えようとします。
それがいい方に働けば、栄誉ある開拓者に、間違った方向に働けば・・・それが昨今の多発する犯罪なんでしょう。
それだけ危ういですし、モロイです。

私の場合は、色々な過程と体験から、色んなものを妥協し諦めてきました。
自分さえ引けば・・・自分さえ耐えれば・・・という風に。
結果、このざまです^^;。「あんた、バカァ?」と言われても仕方ない体たらくですね;;。

今思えば、もっと真剣に男として頑張るべきだったな、と反省しています。
少なくとも認めてくれる「誰か」がいれば、どんな事でも耐えられる強さにはなったでしょう。
でも、私は自分への自身のなさと、そうする勇気をとうとう出しませんでした。
つまり、逃げてたわけです。
その結果が、自分を壊すというハメになった一番の要因だろな、と今は思います。
やはり、挑まねばならない時には、挑まなくてはいけないんですよ。と、今になって気付く始末・・・(^_^;)。

しかし、もう今からだとそれも厳しいでしょう。
今の歳が38。
仮に今運命的な出会いがあってすぐ結婚。子供を授かったとしても生まれるまでに約1年、その子が大学に行くとしたら親である私の手元を離れるまでに最短でも22年を要します。
つまり、38+23=61歳…定年ですね。
いや、もしダブリでもしたら、その差分の年の学費すら捻出できない可能性も充分にあり得ます。
そうなったら・・・親として失格ですね;;。

そう考えると・・・もはや叶わぬ夢、かなぁ、とも思えたりします。
自分に子供がいないというのは私自身にとっても、伝えていくものが無いという空しさがありますが、むしろ親に対して孫の一人も抱かせて上げられないということの方が、つらいです。

でも・・・致し方ないのでしょうね。

皆さんは、こうならないように今あるご縁を大切にしてくださいね☆

※特に学生の方々へ。
私自身、幼・小・中・高・大学と常に共学だったため、異性の方と知り合う事自体は対して難しい話ではない、と思っていました。
でも、社会に出ると、その状況は一変します。
奇妙なくらい、男性は男性社会、女性は女性社会の中に属するようになって、まず通常にただ生活をしているだけだったら、殆どの場合限られた異性としか接点を持てなくなります。
今の環境が、つくづく恵まれている事を意識して置いてくださいね☆
posted by りちゃ。 at 00:40| Comment(4) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年08月04日

気付かされた事B

長くなってしまっていますが、前日からの話の続きです。

さて、そんな事情からようやく本社勤務という立場となったのですが、この時、社内での様々な変遷の中に、戻って間もない立場の私はモロに振り回される事となり、結論から言うと社内に味方と呼べる同僚がいない状態になってしまいました。
今振り返ると、あまりにもタイミングが悪すぎた、と思ってしまいます。
既に中・高を過ごした同級生や大学時代の仲間たちとの交流も無くなっており(数少なく続いているのが、今の友達たちです)、必然的に私は休日も「一人」で過ごす事になりました。
ドライブして遠出したり、史跡巡りなどをし出したのも、この頃からです。
ですが、それで根本的な問題が解決するはずもなく、結果、私はそれまでの間で積み重ねてきた「社会人としての自信」を根底から無くしてしまいました。
それを、それでもだましだまし隠しながら勤め続けていたのですが、ある時ついに耐えられなくなり、私は会社で倒れました。
疲労とか過労といったものではなく、精神的圧迫が許容量を超えてしまったという事です。
そしてそのまま休職となり、やがて退職という事になったわけです。

完全に「一人」となってからしばらくは、自信の壊れた自分を保つために通院以外は家に閉じこもっていました。
(もしこの時に、ロドを所有していなければ、本当にこのままだったかもしれません。ロドという、運転を五感で体感できて、しかも外界との接点を違和感無く与えてくれるツールがあったからこそ、今こうして外に出かける事が出来るようになったと今でも信じています。)
そして時が経ち、自分をようやく受け入れられるようになり、また出かける様になりました。
もちろんやはり「一人」ででしたが、これは逆に今までが常に「一人」だったお陰で抵抗無く受け入れられました。
また、その環境が当たり前であったからこそ、映画巡りや史跡巡り、図書館での勉強といった事なども出来るようになったわけです。


この「一人」という立ち位置が、図らずも、あるいは必然として常に私の基準となっていましたので、その点が彼にはとても経験できないと言わしめた部分だったようです。
言われるまで自覚しませんでしたけどね^^;。
確かに言われてみれば、本来はどこかに旅行したり、テーマパークに遊びに行ったり、映画や美術館へ出向くなどは、親友や見知った友達や恋人との親睦を深めるためのイベント、というのが普通と言えます。
私の場合は、そうする相手が身近にいませんでしたから、そういった目的で行く事がなかったわけです。
まぁ仮に近くにそういう人がいたとしても、私の性格から妙な気遣いを相手に強いる事になり、却ってギクシャクしたものになってしまいますしね。
(実際、学生時代がそうでしたからw)
私にとって、お出かけするのは、もちろん純粋に興味があって行くのですが、「せっかくの人生、何も見ず、何も知らず、何も体験せずに終わらせるのは、今まで育て、関わってくれた人達に申し訳が無い」という思いが、一つにあります。
まぁ、逆に言うと、その程度の動機で動いているわけですから、単純とも軽薄とも言えますけどね。

とにかく。見知った友たちからの求めがある事は、今の私にとって、最大の喜びです。
そもそも、自分がこの世にいる存在理由すら、怪しい身の上ですからね。

そんな私に声をかけてくれる、全ての人に感謝したいと思います。(^-^)
posted by りちゃ。 at 00:25| Comment(2) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年08月03日

気付かされた事A

さて、そんな感じのまま大学を卒業→地元の中堅企業に就職し、配属されたのが埼玉の営業所でした。
エリアは北関東3県+新潟県だったのですが、人数としては数人と比較的小さな所帯のところでした。

それまで地元を離れて生活をした事がない私にとっては、初めての独り暮らしになり、それ自体は大変解放感のある、いいモノでしたけれども、弱ったのが人脈でしたたらーっ(汗)
勿論その営業所の諸先輩がたも世代的に近く、新米の私を懇意にしてくれたのですが、その当時既に殆どの方が所帯を持たれているか、あるいは近々持たれる状態だったため、所謂「夜遊び」といった機会もあまりありませんでした。(まぁそれでもイベント出張の時などは、それなりに居酒屋巡りとかスナックのはしごとかありましたが、これは所謂「景気付け」で、異性とお知り合いになるというモノではなかったですね)
それに「独り暮らし」といっても、純粋なソレではなく、正確に言うと「他の独身者との共同生活」でした。具体的には3人いれば3部屋のアパートを、2人なら2部屋のを借りて、各部屋に1人、という感じです。
合理的ではありますが、プライベート的に言うと、個人の自由は制約され、またもし彼女が出来たとしても、住まいにはちょっと…という環境でした。あせあせ(飛び散る汗)

必然、よほどのアクティブな人間でもない限り、彼女をつくる事は困難で、また土地勘もないので、する行動そのもの自体が限られたモノになっていきました。
私の場合は、仕事に向くようになり、休日も無給出勤して仕事している事が多かったです。
そんな調子ですから、食事なども一人で外食というのが当たり前になっていきます。
最初はよくあるラーメン屋とか吉野家のようなところでしたが、段々バリエーションも乏しくなるので、次第に居酒屋やチェーン店のファミレスなども入れる様になり。
途中、部署移動で仕事も単独行動になって行動エリアも関東全体・一部中部地方と拡がりましたから、余計に拍車がかかりました。
時にはある事務所に夜中中いて仕事していた事もあります^^;。
しかし個人的には気楽なモノでした。何せ基本的に「一人」でしたから、周りの視線や干渉は殆どありませんでしたので、それまでの私にとっては、のんびりとした環境だったと思いますw。

ですがその様子を聞くにつけ、親からは事あるごとに帰ってくる事を促されました。
私としては戻っても窮屈なだけだと感じてましたので、はぐらかしていたのですが、32歳の時に父が一時体調を崩した時があり、その時に母から強く懇願され、流石に折れましてたらーっ(汗)
観念して会社に本社への転属を懇願し、七転八倒の末、異動となり本社勤務となったわけです。
今思えば、この時もその「判断」「決断」をしたのも、私自身のモノでしたね^^;。

長くなりますが、明日に続けます。
posted by りちゃ。 at 15:33| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年08月02日

気づかされた事。

さてさて。昨日書きかけた「気づいた点」の事なんですが。

色々話し合って見ると…ものすごく単純な事に気づきました(^o^;。
つまり、今まで育ってきた人間関係と環境と、その中での自分自身の立ち位置が違ってた、という事です。

私は、というと子供の時から過剰に躾けられてきたお陰で、カチンコチンの「優等生」でした。
もーボケとかツッコミとかが成立しないほどの;;。堅物ちゃんだったんですね。
そんなでしたから、子供のときから結構疎まれる存在になってしまいまして^^;。
まぁ、有体に言えば、いじめられっ子でした;;。
ただ幸いな・・・と言うべきですかね。子供の頃から身長は高いほうだった事と、母親が近所でも知れ渡る「肝っ玉オカン」でしたから、 (どのくらい肝っ玉かというと、駄菓子屋で唆されてクスねたお菓子がバレてたたかれながら、その駄菓子屋に謝罪、とか、小学校の授業参観で授業が終わってすぐに「態度がなってない」とみんなの前で折檻とか。序の口でこんなん。あげればきり無し;;。) お陰さまで第一ターゲットにされる事はありませんでした(みんなも後が怖いから;;;)。
あと、小学校の頃は成績も勉強は良かったので、班長とか学級委員長とか生徒会とかも勤めましたのでその点でも一目おいてくれてたのかも。
ただまぁ・・・そのためか、常にボクの立ち位置は「一目置かれるか、蔑まされるか」のどちらかでした。
つまり、対等な関係というのが無かったんです。子供の時から。
それに成績の点でもという事情もありますが、家の家計的に塾には通いませんでした。
当時から塾とかの習い事は当たり前でしたし、そこでみんな学校以上の交流を深めたりしてたと思いますが、その点でもボクは浮いてました。
つまり、つまるところ、一人でした。
とはいえ、そこはまだ集団生活。学校でとか塾の無い時とかに遊んだりはしましたし、誰かの家で遊んだりもしましたが、基本的に「私から声をかければ」遊んでくれるという感じで、「誰かが誘ってくれて」遊ぶという事はまず無かったかな・・・と思っています。
中学になると、成績のほうも並になってしまいましたが、親がイジメ対策として柔道を習わせたので(結局投げられ続けただけで、帯も黒くなりませんでしたが^^;)、体格と武道という点でやはり第一ターゲットにはならずに済みました。
でも性格は相変わらずの「堅物ちゃん」ですから、やっぱり立ち位置は変わらず・・・。
それは高校に行っても同じでした。
つまり・・・私という存在は「賢ぶってる堅物の真面目ぶりっ子の優等生」で「生徒会とかの煩わしい学校行事とかやらすにゃちょうどいい」という感じでした。
現に祖母の急逝で生徒会の候補者演説会を欠席したのも関わらず、生徒会副会長に選ばれてましたし・・・(その時ホントに空しかったです・・・)。

そんな感じで。
私にとっては幼少期から今を見ても、当時の関係者で私を対等の仲間と取ってくれていたのは殆どいませんでした。
(数少ない一人が、今ビリヤードに誘ってくれている彼です。)
現に当時の知り合いとバッタリ会っても、相手はどー接したらいいのか、という風なバツの悪そうな雰囲気が見え見えですから。
同窓会も中学・高校と一度だけ声がかかり参加しましたが、以降サッパリかかりません。
やっているのかもしれないし、やってないのかもしれないですが。
いずれにしても私には声がかかってないという事です。

ある程度その事から開放されたのが、大学に入ってからですね。
この歳になってようやく自分のしたい事(アメフトです)が出来て、今までのしがらみの無い友達が出来て。
未だに交流がある仲間は、この大学時代というかアメフトの仲間です。
ちなみに、この「りちゃ。」というニックネームもその時の先輩がつけてくれました。
それが嬉しくて未だにハンドルネームに使用しています。
(それまでのニックネームは・・・下の名前のまんま、でした。ニックネームといっていいのかどうか^^;。
それを目の前で呼ばれる様を父が見て、顔を真っ赤にして怒りに身を震わせていたのを今でも覚えています。
当時は仕方ないんだよ・・・となだめましたが、逆の立場だったら私も言いがたい屈辱を感じていただろうと思います。
その時の事を思うと、今でも申し訳ない思いでいっぱいになります・・・)
でも大学に入っても「堅物なヤツ」という立ち位置は変わらず。というより、もうこの時点では完全に個性になってました。
今でも、これは既に私の色だ、と思っています。
でも、そんなヤツでしたから、やっぱりハメを外すような事になると、どーしてもぎこちない。
し、場を盛り上げる事もできないし。
そんなですから、やっぱり一人でいる事はしばしばありました。高校までの頃ほどではないですけどね(^^)。

とにかく、私にとって一人でいるという事はデフォルト(当然の状態)でした。

長くなるなぁ・・・。
明日に続けますねー^^)/。
posted by りちゃ。 at 23:25| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年07月16日

あえてこの日に書き留め置きたく思い。

正直に言うと、今まだ書くことに迷いつつ、ではありますが・・・
しかしどうしても書き起こしたく、書く事に致しました。

昨日、関西ローカルの情報番組「ニュースアンカー」にて、「臓器移植法改正で移植は変わるか?」という特集が放送されました。

ここで取り上げられたお子さんなのですが、実は昨年まで大学のアメフト部でマネージャーを務めていたOGの親戚に当たるお子さんでした。
私達がその事実を知ったのが、今年の5月GWに行われた現役生たちとのOB戦でした。
とても強い衝撃を受けた事を、今でも覚えます。そして、その治療に莫大な治療費がかかるという事実にも。

その事にOB会としても微力ながら何らかの力を貸そう、と動き始めた矢先。
そのお子さんは天国に旅立ってしまいました・・・。

その事がよもやTVで紹介されるとは思ってもみませんでしたが、おかげで、そのお子さんがどれだけ頑張っていたか、ご両親がどれほど懸命であったかを知ることが出来、その事が幾分か救われました。
改めて、この場をお借りして哀悼の意とお悔やみ申し上げます。


こんな時、その無力感からついこう考えてしまいます。
「なぜ、まだ人生の何たるかをも味わえなかった者が、先に逝かねばならないんだっ。」と。
この子に限った事ではありません。私自身これまでに同じように惜しむべき輩(ともがら)に先立たれてきた事に、常に感じざるを得ない思いなのです。
先達ではなく、同じ世代を生きるはずだった仲間たちに。

ある者は、高校時代の、生徒会副会長に選ばれた時に同じ生徒会でともに語り合った生徒会長だった者。
ある者は、中学のときに、親から薦められ通った柔道場で、素晴らしい身のこなしと憎めない性格で遊んだ者。
みな遥かに人望もあり、魅力もある人物でした。


そして、学生アメフト時代の中にも・・・
その人物は、森川隆弘。
その彼は私の1学年下になる後輩でしたが、小柄ながら飛び抜けた運動センスと才能を持ち、1年の時からレギュラーとしてチームを引っ張った素晴らしい人物でした。
しかも、それほど才能を持っていながら、そういった才能ある者によくありがちな驕慢な行動は一切無く、先輩・後輩を問わず誰からも好かれる、まさに好人物でした。
彼の存在をある部分妬みもありつつ、その素晴らしい人格と才能に先輩でありながら惚れ惚れする思いで眺めていたのを覚えています。
おそらく、今もいればその類稀な好人物として、みんなの中心でアメフトに関わってくれていた事でしょう。事実、そうでした。

ですが、思わぬ不慮の事故で彼は亡くなってしまいました。
新婚わずか2週間という幸せの絶頂の時に。
場所は通勤ラッシュの激しい、電車のホームでした。
その駅は乗降客の多さにも関わらず、意外なほど小さなホームの駅でした。そこで何かの弾みでだと思われます。彼はホームから落ちてしまい、そのまま電車に撥ねられてしまいました。
その事を当時、外交の営業として新潟に出張していた時に電話で聞きました。
あまりに想像を超えた事態に我が耳を疑ったほど、ショックでした。
出棺のとき、泣き崩れる夫人の姿が今でも忘れられません。


思い返せば、あまりにも多くの友に先立たれている事に悲しくなります。
そして、その度についこう考えてしまうのです。
「何故、私のような凡夫ではなく、彼らのような人望も才能もある者がさきに逝かねばならないんだ!」と。
その思いで自分自身がつらくなったほどです。正直なところ、未だに拭えたとは言えません。今でもその思いはあります。
その度に、こう私自身に言い聞かせています。

「彼らがいた事を、彼らが素晴らしい人間だった事を、生き残って伝えていこう。その為に頑張って生きよう。」

実際には、今の私はとても彼らに胸をはれる生き様を出来ていません。
本心を言うと、おめおめと外へ出たり、人前に我が身をさらす事自体、みっともないとまで思う事すらあります。
しかし、それを振り切って前へと進んでいるのは、ひとえに上記の思いからです。先立った彼らに申し訳が立たない、というその一心です。
私はこれからも、自分の人生を精一杯足掻くでしょう。無様に。みっともなく。
それでも、彼らを失った「価値」というものを、少しでも伝えていく可能性を得るためにも、精一杯やっていきたいと思います。

その事を、今日、7月「16日」に書き残すことにしました。
それはTV放送の翌日だから、というわけではなく、
冒頭のお子さんが亡くなられたのが、6月の「16日」。
先の森川が亡くなったのも、1月の「16日」。
だからです。

その「16日」だからこそ、書かせて頂きました。
供養の意味も兼ねまして。

本来なら秘すべき事柄であり、長々とした駄文にお付き合い頂く事に心苦しさもありますが、私なりの思いを記させて頂きました。
ご覧頂き有難うございました。
posted by りちゃ。 at 20:26| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年06月05日

やっぱりロドで良かった…。


今日は…昨日の思いをひきづったまま、とでも言いますか…
まぁ、睡眠取る時点で失敗してたんですが。(^_^;)

昨日はあんな事書いてたように、何とも言えない脱力&無力&徒労感を感じてしまって、あの後まーったくグダグダになってしまいまして。
…ふと気が付くと朝の5時になってました(-- フゥ。

その間寝てたのか起きてたのか、今も記憶にないです。
とにかく、5時でした。

そのまま起きてる、という手もあったのでしょうが、何とも持ちそうな感じでは無かったので、そのまま寝まして、目が覚めたら昼になってましたねぇ。
ああ…このままのまんまじゃ、ダメになっちゃうな、と思ったりして、昼から図書館に行こうと思ってたんですけど、結局行く気になりませんでした。

ホント、今までになく、無気力に。。。

もしその後のことがなければ、このまましばらくこんな人間になってたかも知れないです。
幸運でした。
たまたま、なんですが、15時ごろに弟が自分の部署の人の異動の送別会に出るので、駅まで送って欲しい、と言ってきたんです。
その直前まで、ホントに呆けていたんですけど、不思議なもんですね。
その瞬間、私は「長男」になってました。
ならいっそ送別会をやるところまで送ってやるよ、と切り出して、そのまま姫路まで送ってあげる事にしました。
その道中の40分程の事ですけど、弟と近況を話したり、今の自分の心境を語ったり…不思議なもので、それだけで自分の中の負の思いが晴れて行き始めました。

そして、無事に弟を送り届け、そのまま家路につく際に。
既に日も陰り日射しも弱まってきたことから、屋根を開けて帰ることにしました。
その瞬間。
ロドから見える、ほとんど遮るもののない夕景の鮮やかさ。
走る際に体全部で感じる、心地よい風圧。
雑念すら浮かばない、ただ走ることを五感全てで体感できる一時。

とてもとても、爽快でした。
まるで、何もかもを洗い流してくれるように。


…ホントに。本当に、この車を選んでいて、よかった。
改めて、ホント何度目か忘れてしまいましたが、本当にこの車のおかげで私は救われたな、と思いました。

思ってたよりも、リクライニング、できないけど。
思ってたよりも、荷物が積めず困ってたりするけど。
思ってたよりも、周りの音が筒抜けでラジオの音もロクに聞き取れないど。

ホントに何度目だろう。私のこの気持ちを救ってくれたのは。

ただただ、あの時の自分に感謝、です。
よくぞ、決断してくれてたね、と。


そんなわけで、昨日と違い、少しだけ穏やかです。
結局今日は何も勉強は進んでいないんですが。
でも、なんとなく穏やかに、前を向いています。

今やってることが徒労に終わるかも知れないけど。
今やってることが何の役にも立たない事になるかも知れないけど。

もう一度、前を向こう。
そんな気分で、今、います。


今日はそんな一日でした。
posted by りちゃ。 at 21:40| Comment(2) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年06月04日

ふと、なんとなく。。。

今日、久しぶりラジオを聞いた。
ホントに久しぶりに、ラジオを聞いた。
そこでラジオは、夢について語っていた。
みなの想いを代弁するかのように、
夢を語っていた。

夢は、みんなの心の中にある、と。
夢は、自分の考え方次第である、と。
夢は、自分の心の中で思っている事だけでも幸せなことなんだ、と。
まるで全てを代弁するかのように。

いつからなんだろう。
夢が形のないモノになっていったのは。

ボクの子供の頃は、
夢は、飛行機だった。
夢は、スーパーカーだった。
夢は、スーパーヒーローだった。
夢は、TVにでるスターだった。
夢は、世界一周旅行してその国の人と仲良くなる事だった。
夢は、宇宙だった。
夢は、お父さんやお母さんの様になる事だった。

みんなみんな、素敵な夢だった。
みんなみんな、はっきりした夢だった。
その夢みんなに、恋してた。

いつからなんだろう。
夢が形のない、曖昧なモノになっていったのは。
いつのまにか、
夢は、現実味のない理想郷のように言われるようになった。
夢は、ここではないどこか、になっていった。
夢は、今の自分を否定するモノになっていった。
夢は、精神論になっていった。

いつからなんだろう。


ほんとに、
いつからなんだろう。




現実に夢を抱けなくなっていったのは。
posted by りちゃ。 at 20:48| Comment(2) | 思ふ事 *~(゜゜)

2010年06月02日

民主党、動きましたねぇ。


いやいや、今日でしたか。
「鳩山総理・小沢幹事長辞任」

個人的には、やや時期遅き決断になったかな?とも感じますが、ケジメとしてこのカードを切るには、まぁまぁのタイミングだったのでは?(普天間問題→社民党離脱、野党の少数分烈化)とも取れます。
ただまぁ…あくまで党利党閥の考え方であって、私達国民や国家レベルでの判断とは言い難い。
し、その後の発言がまたソレを物語ってますし。
「鳩山総理退陣表明」

国民が聞く耳を持たない…ってのは、どー取り繕っても頂けないよなぁ(-。-;)。
まるで自分以外のみんなが悪いんだ、とダダをこねてるようで。
やはり総理の器ではなかったのかな…とも思えますが、逆に不思議と今までで唯一はっきりと主張した発言だった、とも感じれたような。
主張したくても主張出来ないもどかしさからなのか、ようやく肩書きから開放される思いからなのか…。
いずれにしても、その言葉は本来墓の中まで持っていくべき言葉のように思うのですがねぇ。

ただ、まぁ、それが今までの民主党政権になってからの対応不備の一切の責を自分に向けるようにするための、「あえての発言」だったとしたら逆に大したもの。
それに、同責だとして小沢幹事長にも辞任させた点は、次へのつなぎとしてはよくやった、とも言えるかな?
まぁ、いずれにしても今後のこの人の行動・発言次第ですけどね。


まぁ、時事ネタはこの程度で。(にしては大きい出来事になりそうですが。)

今日はと言うと、午前中と午後3時ごろまで図書館に行って資格の勉強(まぁ、この前までの復習と次の問題を6問書き写しただけですが(^_^;))して、その後、母が整体に行きたいとの事で、ついでに自分もほぐしてもらい、帰宅後、軽井沢ミーティングの写真を加工・整理して今に至っています。

つまり、まだ写真の整理が終わってない、と(^^;;;。

まぁ…明日にはUPしたいなぁ。
とにかく、今日はそんな感じで^^)/。
posted by りちゃ。 at 22:18| Comment(0) | 思ふ事 *~(゜゜)